江戸の暮らしが息づく技と美

北澤木彫刻所 北澤一京

江戸木彫刻 北澤彫刻所 北澤一京



初めての地で、迷子になって切り開かれた職人としての道

 ▲佐原の大祭の山車用に、絵物語を彫り込む一京氏。


 ▲成田山新勝寺の獅子頭は、代表作の一つ。
 初夏、約100品種20万本の花菖蒲が咲き誇り、多くの観光客でにぎわう東京葛飾の水元公園。
 そこから歩いて、数分のところに北澤一京さんの工房はある。
 江戸木彫の北澤一京といえば、成田山新勝寺の獅子頭をはじめ、富岡八幡宮の日本一といわれる神輿の彫刻師として業界で知らぬ者はない。まさに現代の江戸木彫を代表する彫刻師の一人である。
 昭和15年、栃木県生まれ。父は手描き友禅の職人であり、全国紙に挿絵も描く画家でもあったという。しかし、従軍記者として、シンガポールへ向かう途中、船が沈み、帰らぬ人となってしまった。戦後、北澤さんの母は、4人の子供を育てるために花の行商を始める。大きな花篭を背負った母親の後姿が今でもまぶたに焼きついている。子供たちは帰りの遅い母親の代わりに家事を分担した。薪を割り、風呂を沸かすのは北澤さんの仕事だった。火の番をしている時に、手持ち無沙汰で小刀でコケシや人形なんかを彫っているのを近所の人に、うまいうまいと褒められたのがきっかけで彫刻の世界を志すようになったという。
 「ようするにおだてられちゃったんだよね。それで埼玉の彫刻屋さんに弟子入りしようと15歳で家を出ちゃったんだ。母親は好きなことをおやりといって黙って送り出してくれた」
 しかし、栃木から一歩も出たことなかった北澤さんは、初めての埼玉の地で道に迷ってしまった。町中を探しても、目当ての彫刻屋がどこにあるかわからない。
歩き疲れ、途方に暮れている所に、偶然出会ったのが仏壇屋の大旦那だった。訳を話すと「なに? あんなところに行くのか? もっと上手な彫刻屋を紹介してやるから、そんなところへ行くな」と言われ、連れてこられたのが、浅草の飯島米山という当時から江戸木彫界の名工とうたわれた人物の工房だった。
 「人間どこで運命が変わるか、わからないよね」と北澤さんは笑う。


 ▲話をしながらも、いっさい手を休めることなく彫り続ける。見事な手さばきである。




 ▲鑿の種類は、400種類ちかくにのぼる。
仕事は道具が教えてくれる 親方が教えるべきものは別にある
 飯島米山という人物は、傑出した人だったと北澤さんはいう。
 「親方は仕事を教えるんじゃない、食うための道を教えるんだというのが、口癖でね。仕事は何にも教えてくれなかった。でも、その意味は今はよくわかるんだ」
 その意味とはこうらしい。木彫の仕事は人が教えてうまくなれるようなものではない。300以上もある鑿(のみ)を使い分けるには経験を積み重ねる以外に道はない。そのためには道具を自分で研ぎ、道具を知ることが肝要。仕事は自然と上達する。言い換えれば、仕事のやり方は道具が教えてくれるということだ。しかし、仕事を得るには、人の縁だけでなく、時の運も必要になる。その道を開いてあげるのが親方だということらしい。
 今、これだけの技術を持つ名工の北澤さんにもかかわらず、弟子を取るのをやめている。その最大の理由がここにある。
 「親方として何をしてあげられるかということを考えると、今はおいそれと弟子はとれる時代じゃないよね。日本建築が減り、和室もない、仏壇もない家が当たり前になっているからね」
 もちろん、木彫の世界は建築や仏壇だけではない。しかし、我々の生活からどんどん日本人らしさとか、日本的な物が失われていっているのも事実である。そこに木彫という工芸はぴたりと重なってしまう。
 「でもね、これから新たな分野もきっと開けるとは思っているんです。木彫の歴史は、平安の時代から、そういうことの繰り返しだからね」


別れと出会いが生んだ北澤一京の彫刻師としてのスタイル
 北澤さんの木彫の職人としての実績は華やかだ。富岡八幡宮の日本最大の神輿をはじめ、成田山の獅子頭など日本人にとって、未来永劫、宝となるような作品を次々に生み出してきた。しかし、そうした仕事ができるようになるには一つのターニングポイントがあったという。
 それは今から、もう30年ほど前のこと。奥様が突然の病気で他界してしまったのだ。まだ、42歳という若さだった。3人の男の子を育てるため、北澤さんは悲しみにくれている暇はなかったが、心はいつも虚だったと当時を振り返る。
 「仕方ないと言い聞かせて、虚勢を張っても、自分の心は正直だからね」
 しかし、別れは新たな出会いも生んだ。当時彫り上げた仏壇が故石原裕次郎夫人、まき子さんの目に止まったのだ。どうしてもこの彫刻師に頼みたいと、大手仏具店を通して、亡き夫の仏壇の彫刻を依頼してきたという。
 「若くして伴侶を失うということが、どれだけの悲しみであるかをわかっていたから、まき子さんの話がすうっと心に入ってきた。仕事という気持ちでは彫らなかったね。必死で彫った。それが女房への供養にもなると思ってね」

 ▲思わず息をのむ、富岡八幡宮の日本最大の神輿。
 仏壇というのは、皆が手を合わせ、故人に会いにくる、いわばその人の分身のようなものである。昭和の大スターの仏壇に中途半端なものはいらない。材は、今では天然記念物の屋久杉、高さ6尺、彫刻はすべて北澤一京が仕上げた。この世に二つとない仏壇が出来上がった。完成した仏壇の前にして、夫人は動こうとしなかったという。
 それ以来、北澤さんは仕事に対する考え方や木彫への姿勢が変わっていったように思うと語る。
 「気がついたんだよね。彫られるべき物は、もう木の中に埋まってることに。私がすべきことは、余分なものを取り除くことなんだなと思うようになった」
 徹底的に肉をそぎ落とし、彫る対象を極限まで浮き上がらせることで、まるで動いているかのように見えると評される北澤さんの彫りのスタイルがこうして出来上がっていった。

 数年後、富岡八幡宮の神輿を彫り上げ、庶民にお披露目し、神社に納まる日、北澤さんは珍しく見物に行った。古式伝統にのっとり、船で永代橋まで神輿がやってくると、何万人という群集がそれを出迎えた。
 北澤さんは、人ごみに紛れてぼんやりとそれを眺めていたという。すると、前に座っていたお年寄り二人の会話が耳に届いた。
 「こんなものが見られるなんて、長生きして良かったね」
 その瞬間、ああ、この仕事をやっててよかったなと初めてホッとしたそうだ。
 今、北澤さんは、木と向かい合うのが楽しくてたまらないという。彫りたいものはたくさんある。ただ、それを彫らせてくれる木と出会えるかどうか。
 そんな北澤一京さんの作品がこのサイトで手に入るというのは、すごいことだと思う。すべてが本物、彼自身が彫り上げたものである。ぜひ、じっくりとご覧いただきたい。


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