江戸の暮らしが息づく技と美

八百敏

お世話になりました。
土倉木工所は仕事を納めさせていただきました。
以下は葛飾の伝統産業の記録として残します。



飾熊手 八百敏 清田



めでたいことが江戸の粋
 商売繁盛を願う飾り熊手。そもそもの発祥は、江戸時代にさかのぼります。葛西村花又村(現在の東京都足立区花畑)の鷲神社で行われていた酉の市、これはもともと農村のお祭りでした。そこで売られていたのが、古着や農具。その中で、熊手が運をかき集めるに通じて縁起が良いと、いつのまにやら人々の間で人気が出たのだといいます。 その熊手に、飾りやしめ縄をあしらうようになると、その人気にますます火がつき、祭りはたいへん賑わうようになりました。
 江戸の中期になると、その賑わいが江戸市中に移り、今の浅草鷲神社で、酉の市が開かれるようになったのです。浅草の鷲神社のまわりは、商売人が多かったため、いつしか飾り熊手は商売繁盛のお守りとして、全国に広まっていきました。




 ▲浅草酉の市の自分の店前で、清田敏雄さん。

戦後、蓮の仲買から始まった浅草酉の市の大店「八百敏」の歴史

 ▲すべてが手作り。八百敏ならではの指物の数々。


 ▲毎年、こうして夫婦で力をあわせ熊手を作り続けてきた。
 「まけた、まけた」の声の後、威勢のいい手締めの音があちこちで鳴り響く。浅草酉の市は、毎年11月の酉の日に鷲神社で開かれる祭りだ。境内はたくさんの熊手屋が立ち並び、約100万人ともいわれる参拝客は翌年の商売繁盛、家内安全を願い飾り熊手を買っていく。酉の市としては、日本最大の規模を誇る。
 そんな酉の市に、七軒分の店を構える「八百敏」。仲間内からは「葛飾の青砥」と呼ばれる清田敏雄さんの店だ。実家が農家で先祖代々しめ飾りを作ってきた。両親は戦前から、自分で店を持ったのは昭和26年からという。
 今では、拝殿そばの一等地に店を構え、仲間内が、その年の景気を「八百敏」の売り上げで予想するという大店にまで成長した。
 酉の市というのは、店の数が決まっている。神社の敷地内で商売をさせる以上、誰でも彼でも参入されたら困るということだろう。神社側の信頼の証として、鑑札が店に与えられている。もちろん、権利である以上、鑑札を譲り受けることも可能だが、それでも、商品の質や主人の人柄がまわりから認められなければ、商売は広がらない。
 「うちの屋号「八百敏」って、熊手屋にしちゃ変でしょ? 私の実家はね、蓮を作ってたんですよ。それで戦後、蓮の仲買をやるようになった。やっちゃ場に出入りしてたんで、仲間内から屋号は「八百敏」しかねえだろっていわれちゃってね、あはは」と清田さんは、屈託なく笑う。生粋の江戸っ子でありながら、ゆったりとした口調で、物腰がとても柔らかい。


八百敏の熊手を求めて、毎年たくさんの人が全国から、浅草に集まってくる
 飾り熊手の人気が全国に広がった現在、地方の神社をめぐって店を出す熊手屋は多い。しかし、八百敏はそれをしない。全国どころか、八百敏は、浅草の鷲神社以外に店を出さないのだ。別に大店を気取っているわけではない。実は、八百敏の熊手は、一年をかけて、そのすべての工程を手作りしているため、その時間がないという。
 たとえば、熊手の爪曲げは二月から。飾り鯛を型どるのは、早春。色づけは、梅雨の前と決まっている。乾燥のズレが色の出具合に影響するからだ。竹も使うのはその年の真竹のみ、良い物を見て仕入れる。竹を割る時期も決まっている。このようにして、すべての飾りや指物を作る時期が決まっている。
 さらにもう一つ、八百敏のしめ縄や俵が、どの店の物より青々としている理由。稲ワラが材料なのは同じだが、単なる稲ワラではなく、ミトラズという。実をつける前に刈り取ってしまうので、「実取らず」。ゆえに青々とした色を保ち、しめ縄にした時の姿が力強い。毎年、5月に田植えをし、夏の土用には刈り取ってしまう。ずいぶん、もったいない話にも思えるが、すべては11月の酉の市に間に合うように計画が立てられている。売るのは数日、作るのは一年がかり、なんとも肝の据わった商売である。
 「縁起物だから、こだわってますよ。安いからといって、海外物あぁ使わない。姿が悪いからね。全部、自分たちでこしらえます」
 飾り熊手は基本的に店や家の一番目立つところに飾るもの。であれば、姿の良し悪しは何より大事だというのが、清田さんの考え。ごもっとも。
 手を抜かないから、客が離れない。今では全国に清田さんの熊手の顧客がいて、毎年、酉の市で八百敏の熊手を買うために上京してくるという。
 「もう、70年、いや、親父の代からだともう100年以上、この商売を続けてこれたのはお客さんのおかげですよ。だから、自分がやれることは、ちゃんとやらないとね」


 ▲作業中が一番楽しいという清田さん。

二度と同じデザインはやらないのが熊手、毎年、新しいことを取り入れていくから、縁起がいい。
 その八百敏の熊手が、サイトで買えるようになったと聞いて驚いた人はかなり多い。もちろん、葛飾区伝統職人会の公式サイトだから、実現したことである。とはいえ、浅草鷲神社が認めた本物の飾り熊手がネットを通して、手に入るということは今までになかった。
もちろん、ネットである以上、小ぶりの熊手ではあるが、実際に今年の鷲神社の運をたっぷりとかっこんだ材料を組み上げて届けるという正真正銘の本物である。それをネットで販売するというだから、大胆に思える。
 「熊手はね、伝統工芸ではあるけれど、常に新しいことを取り入れてきたんですよ。まったく同じ熊手は過去に存在しないんだ。毎年、新しいデザインや要素を入れて、変わり続けてきたんです。新しいことをどんどん取り入れてね」と清田さんは、福々しい笑顔でそういい切った。ネット販売もその新しいことの一つにすぎないという。
 酉の市が終わると、年末のお飾りを作りながら、翌年の1月までに、新しい熊手のデザインをどうするかを家族で話し合うのが清田家の年末年始である。ああでもない、こうでもないと家族で議論している時間が楽しいと清田さんはいう。戦後はシンプルだった熊手が、年々華やかになり、作業はたいへんになる一方。多くの熊手屋はやむにやまれず海外物で間に合わせたり、機械を使って合理化をしてきた。しかし、どんなに指物が増えようと、八百敏は手作りにこだわる。

 「性分なんだね。楽しようと思えば道はいくらでもあるが、私はこの仕事が好きなんだ、つくづくそう思うよ」
 現在、息子さんが仕込みや付き合いの大半を取り仕切ってくれているそうだが、あくまで中心は清田さんだという。
 「もう、息子も一人前だし、娘婿をお飾りをやってくれてる。孫も跡をとると言ってくれて、良い物を作れるようになったんで、去年で引退しようかと思ったんだが、やっぱり近づいてくると血が騒いじゃうんだね、あはは」と笑う。
 さすがは「商売繁盛の飾り熊手」を扱うだけあって、このご時世にあっても後継者問題も安泰。まさに「八百敏」の屋台骨は創業100年たっても磐石である。

 ▲この笑顔に全国から、福を求める人が集まってくる。
 


浅草鷲神社で店を構える八百敏の飾熊手。
※総手作り品につき、若干の個体差はあります。しかし、すべての商品の品質の良さは保証いたします。

  • 飾熊手500mm×250mm
    飾熊手
    サイズ:500mm×250mm
    重 量:800g
  • 飾熊手700mm×300mm
    飾熊手
    サイズ:700mm×300mm
    重 量:1000g
  • 飾熊手800mm×350mm
    飾熊手
    サイズ:800mm×350mm
    重 量:1500g
 
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