山川べっ甲
山川金作さんは、新潟県に生まれ、幼少期に静岡へ移り小学校時代までを過ごした。その後、親の仕事の都合で山梨県へ転居し、中学校時代を山梨で送る。各地を転々とする少年時代だったが、山梨の中学校の先生の紹介をきっかけに、東京の大手鼈甲工房へ就職する道が開かれた。進学よりも働くことを選び、家計を支えながら技を身につけていったという。勤め先の社長に温かく見守られ、多くの失敗を重ねながらも職人として成長してきた。人との縁に恵まれてきた人生を、山川さん自身も誇りに思っている。温厚で親しみやすい人柄から、仲間内では「キンちゃん」の愛称で親しまれる一方、仕事に向き合う姿勢は真剣そのもの。その確かな技と誠実さに、周囲からの信頼は厚い。平成16年、長年仕えた社長の死を機に葛飾区で独立。
厳しい状況にある鼈甲業界の中で、仲間に支えられながら、今も黙々と伝統の技を守り続けている。
山川さんは、どんなに小さな装飾パーツの依頼であっても一切手を抜かず、丁寧な仕事を貫く職人である。
自分の名が前面に出る作品ではなく、他の工芸品を引き立てる部品制作であっても、完成度への妥協はない。
その誠実な仕事ぶりが評判を呼び、大手ジュエリーブランドからも依頼が舞い込むようになった。
なかでも最高級カメオの台座制作は、山川さんにとって印象深い仕事だという。徹底的に磨き上げられた作品の曲面は、何層にも艶を重ねたような深みを持ち、人工素材では決して再現できない美しさを放つ。
その丸みと質感こそが、長年の顧客を惹きつけてやまない魅力である。
山川さんが仕事の中で最も喜びを感じるのは、決して安くはない代金を支払った客から、心からの感謝の言葉をもらった瞬間だ。
葛飾区という土地で、業種を超えた職人同士の連携を大切にしながら、山川さんは「良い物を作る」ことの価値を静かに、しかし確かに伝え続けている。
鼈甲(べっこう)。その起源にはさまざまな説がありますが、漢の時代、中国でその細工が広まり、ヨーロッパを経て、奈良時代に日本に伝わったといわれています。
タイマイの甲羅を加工して作られるこの装飾品は、淡い黄白色の輝きを持ち、その美しさと肌触りの良さから、人々の間で大切にされてきました。
日本でも正倉院の収蔵品に鼈甲製品が数多く見られますが、庶民の装飾品として広まったのは、江戸の中期からです。
鼈甲は、膠(にかわ)と似たような成分を含み、接着剤を使うことなく、火と水を使うことで、どのような形にも加工できることから、さまざまな生活の道具の素材として取り入れられ、多種多様な製品が生まれました。
しかし、現在はワシントン条約により世界的に商取引が停止されているため、それ以前に輸入された原材料が尽きれば、伝統工芸としての鼈甲の歴史は途切れることになってしまいます。
現在、そうならないためのさまざまな取り組みが行われていますが、まだ、見通しは立っていません。
べっ甲 ストラップ 三味線ばち
天然素材を使用しているため、多少の小傷や汚れなどや表示されている画像とは色柄が多少異なる場合もございます。
あらかじめご了承ください。
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山川べっ甲
山川金作さんは、新潟県に生まれ、幼少期に静岡へ移り小学校時代までを過ごした。その後、親の仕事の都合で山梨県へ転居し、中学校時代を山梨で送る。各地を転々とする少年時代だったが、山梨の中学校の先生の紹介をきっかけに、東京の大手鼈甲工房へ就職する道が開かれた。進学よりも働くことを選び、家計を支えながら技を身につけていったという。勤め先の社長に温かく見守られ、多くの失敗を重ねながらも職人として成長してきた。人との縁に恵まれてきた人生を、山川さん自身も誇りに思っている。温厚で親しみやすい人柄から、仲間内では「キンちゃん」の愛称で親しまれる一方、仕事に向き合う姿勢は真剣そのもの。その確かな技と誠実さに、周囲からの信頼は厚い。平成16年、長年仕えた社長の死を機に葛飾区で独立。
厳しい状況にある鼈甲業界の中で、仲間に支えられながら、今も黙々と伝統の技を守り続けている。
山川さんは、どんなに小さな装飾パーツの依頼であっても一切手を抜かず、丁寧な仕事を貫く職人である。
自分の名が前面に出る作品ではなく、他の工芸品を引き立てる部品制作であっても、完成度への妥協はない。
その誠実な仕事ぶりが評判を呼び、大手ジュエリーブランドからも依頼が舞い込むようになった。
なかでも最高級カメオの台座制作は、山川さんにとって印象深い仕事だという。徹底的に磨き上げられた作品の曲面は、何層にも艶を重ねたような深みを持ち、人工素材では決して再現できない美しさを放つ。
その丸みと質感こそが、長年の顧客を惹きつけてやまない魅力である。
山川さんが仕事の中で最も喜びを感じるのは、決して安くはない代金を支払った客から、心からの感謝の言葉をもらった瞬間だ。
葛飾区という土地で、業種を超えた職人同士の連携を大切にしながら、山川さんは「良い物を作る」ことの価値を静かに、しかし確かに伝え続けている。
鼈甲(べっこう)。その起源にはさまざまな説がありますが、漢の時代、中国でその細工が広まり、ヨーロッパを経て、奈良時代に日本に伝わったといわれています。
タイマイの甲羅を加工して作られるこの装飾品は、淡い黄白色の輝きを持ち、その美しさと肌触りの良さから、人々の間で大切にされてきました。
日本でも正倉院の収蔵品に鼈甲製品が数多く見られますが、庶民の装飾品として広まったのは、江戸の中期からです。
鼈甲は、膠(にかわ)と似たような成分を含み、接着剤を使うことなく、火と水を使うことで、どのような形にも加工できることから、さまざまな生活の道具の素材として取り入れられ、多種多様な製品が生まれました。
しかし、現在はワシントン条約により世界的に商取引が停止されているため、それ以前に輸入された原材料が尽きれば、伝統工芸としての鼈甲の歴史は途切れることになってしまいます。
現在、そうならないためのさまざまな取り組みが行われていますが、まだ、見通しは立っていません。