江戸の暮らしが息づく技と美
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塩田彫刻店

江戸木彫刻 塩田彫刻所 塩田正



一切のやすりを使わず、鋭い小刀で、滑らかに仕上げる「透かし」という技法。
 葛飾区の真ん中を流れる中川という川がある。
 江戸川と荒川という大きな川に挟まれ、あまり目立たぬ川だ。川幅もそれほどは広くはない。しかし、そのほとりは春には菜の花が咲き、桜並木が土手をにぎわす、夏は子供たちの声であふれ、秋にはすすきの穂が月明かりに揺れている。そんな四季あふれる川として、地元で愛されている川である。その中川が流れる水元の近くに塩田さんの工房はある。
 塩田さんは、江戸木彫において特別な技法とされる「透かし」の職人として知られる人物だ。この透かしという技は、日本建築における欄間などに使われる独特な技法の一つ。他の江戸木彫と同じく、鑿(のみ)を使い、ヤスリは一切使わないが、小さく鋭い小刀を使って、表面を滑らかに仕上げていくのが特徴である。
 透かしという言葉どおり、木板に、梅や桜、龍などのさまざまな柄をくり抜くわけだが、その際、木目がささくれたり、欠けたりすることなく切り抜く技術が必要とされる。木目にそって剥がれやすく柔らかい日本の木材では、それが至難の業だということは、一度でも木材を切ったことのある人ならわかるだろう。もし、一カ所でも欠けたら、その瞬間に売り物にならなくなる。
 「地味なことだけどね。最後まで気はぬけないんだよね」
 何十年と使い込んだ作業台の前で、塩田さんは苦笑いする。やさしい語り口と穏やかな風貌とは裏腹に、仕事場には常に緊張が張りつめている。

 ▲長年使い慣れた作業台の前に座る塩田さん。


道具を研ぎ、使い込むことで仕事を覚えていった修行時代
 昭和16年、東京生まれ。小さい頃から手先が器用で、彫刻で賞をとるなど、小学校時代から工作なら塩田といわれるほど、誰からもその才能を認められていたという。
 建具職人だった父親は、自分の仕事を継がせるより、息子の器用さをもっと生かせる職業をと、当時、透かし彫りの名工といわれた松本光一氏の元へ、友人のつてを頼り、弟子入りさせてしまう。今から思えば親心だったんだねと塩田さんは振り返る。師匠の工房は墨田区にあった。
 「忙しかったねえ。師匠は何も教えてくれなかっただけど、仕事だけはあった。毎晩、11時、12時までやってたな。休みなんかなかったなあ」
 職人の世界で、多くの人が口にするのが、師匠は何も教えてくれなかったという台詞である。じゃあ、誰に教わったのかというと、ある職人さんは「自分」だったり、「ただ、ひたすら真似た」という人、「道具」と答える人もある。
 塩田さんの場合は、道具だったという。
 「道具の数だけ、砥石があるんだよね。だから、まずは師匠や先輩達の使う道具を研がせてもらうんだ。そうしているうちに自分でも欲しくなる。使い方がわかってくるからね。でも、道具は鍛冶屋に作ってもらうしかないから、高い。でも、そうやって一本一本揃えていくんだよね、みんな」
 誰よりも早く工房に来て、誰よりも遅く帰る。そんな修行時代は、10年も続いた。その頃には、大きな仕事も任せられるほど、師匠からの信頼を得ていたという。
 ある日、結婚をしたい人がいると、師匠に告げたら、帰ってきた言葉が、それならきちんと独立をしなさいだった。
 そして、西亀有に最初の工房をかまえることとなった。

 ▲板を押さえる腕も力強く、ゴリゴリと音たてて削っていく。


 ▲仕上がりを決めるという最も大切な小刀。もちろん自作だ。



 ▲木目の美しさを最大限に引き出すことが、透かしの最も大切な技術だと言い切る塩田さん。

日本家屋に合う、すっきりとした物を作る、それが自分の信条。
 当時は、高度経済成長期。日本家屋に欠かせない欄間の注文はひっきりなしだったという。忙しかった。でも、新しいこともやりたかった。その一つ、「ミシン象嵌」は、透かしの技術を生かし、編み出した技法だ。
 材質の違う二種類の木を使い、片方はミシンを使った透かし技で模様をくり抜く。次に、くり抜いた部分に別の木で同じ柄を切り出し、はめ込む。互いの色合いの違いが、柄となる。
 象嵌は工芸としては、決して目新しいものではない。しかし、くり抜いた木材どうしの象嵌となると話は違う。組み合わさる両方が同じ大きさでなければならない。接着剤など使わないから、その許容できる誤差は、限りなくゼロだ。塩田さん以外に、この加工ができる人はめったにいないという。
 「まあ、手間がかかるから、誰もやりたがらないんだろうね」と笑った。
最後に、塩田さんにとって仕事でもっとも大切にしていることは何ですかと尋ねてみた。
 「僕の場合、すべての前提が日本家屋にあるので、木を彫る時、まず木目を見ます。木目を生かし、すっきりとした印象になるようにね。その部屋にしっくりなじむことが大切だと思うから、柄はシンプルなものを心がけてます」
 神社、仏閣とは異なり、茶道などの日本家屋では調和が大切とされる。室内の物が、主張しすぎることなく存在することで、互いに引き立てあい、なんともいえない品格が生まれる。日本家屋の欄間に透かしが好まれる理由がそこにある。透かしという技術を追求するうちに、いつしかそれが塩田さんの作風となり、信条となったということだろう。
 広大な川ではないけれど、そこに住む人々に、四季のうつろいを静かに告げてきた中川という川。それと塩田さんの作品は、何か通じるものがあるような気がする。素であり、粗ではない。凛とした美。これこそが江戸の人々が、ずっと大切にしてきた感性なのかもしれない。

 ▲素材の違うパーツ組み合わせるミシン象嵌。


 ▲今はあまり見かけなくなった飾り障子。


 ▲木目の波紋の美しさに、さりげなく透かしを入れた結界。


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