小宮染色工場
江戸時代、世の中が安定すると、各大名たちは江戸城へ登城の際、着物の豪奢さを張り合うようになりました。それを見かねた幕府は、贅沢な着物の着用を禁じました。
このことが、一見、遠目には無地に見えるけれど、近寄って見ると繊細な模様が描かれているという江戸小紋が生まれるきっかけとなったのです。
やがて、各大名たちは、それぞれ代表的な模様を門外不出として保護するようになり、江戸の庶民の間でも小紋は広まっていきました。
大名が江戸城登城の際に、着用していたことから、小紋とはいえ、これら定め小紋は現代でも礼装として認められています。
定め小紋の代表的なものには、前田家の「菊菱」や紀州の「鮫」などがあります。
このことが、一見、遠目には無地に見えるけれど、近寄って見ると繊細な模様が描かれているという江戸小紋が生まれるきっかけとなったのです。
やがて、各大名たちは、それぞれ代表的な模様を門外不出として保護するようになり、江戸の庶民の間でも小紋は広まっていきました。
大名が江戸城登城の際に、着用していたことから、小紋とはいえ、これら定め小紋は現代でも礼装として認められています。
定め小紋の代表的なものには、前田家の「菊菱」や紀州の「鮫」などがあります。
祖父の代から続く染工場に生まれた小宮康正氏は、父の康孝氏(昭和53年重要無形文化財江戸小紋保持者認定)のもとで江戸小紋の修行に励み、父親の技術を受け継ぎました。
昭和55年の日本伝統工芸展で初入選し、昭和58年の同展で文部大臣賞を受賞しました。平成22年、紫綬褒章受章。平成30年、重要無形文化財「江戸小紋」保持者認定されました。
昭和55年の日本伝統工芸展で初入選し、昭和58年の同展で文部大臣賞を受賞しました。平成22年、紫綬褒章受章。平成30年、重要無形文化財「江戸小紋」保持者認定されました。
この小紋染めは自分の力だけではいい物はできません。いい生地をつくる人、いい紙をつくる人、いい型を彫る人がいなければいい製品はできません。
ですからこの仕事にかかわっている職人さんを大切にしなければ、いい製品を作りつづけねばならないと思っています。
ですからこの仕事にかかわっている職人さんを大切にしなければ、いい製品を作りつづけねばならないと思っています。
■小宮康正氏の製作工程がご覧いただけます ※音が出ます
※商品の都合上、ネットでのお取り扱いはございません。お問い合わせは下のフォームから、お気軽にどうぞ。