山川ベッ甲
鼈甲(べっこう)。その起源にはさまざまな説がありますが、漢の時代、中国でその細工が広まり、ヨーロッパを経て、奈良時代に日本に伝わったといわれています。
タイマイの甲羅を加工して作られるこの装飾品は、淡い黄白色の輝きを持ち、その美しさと肌触りの良さから、人々の間で大切にされてきました。
日本でも正倉院の収蔵品に鼈甲製品が数多く見られますが、庶民の装飾品として広まったのは、江戸の中期からです。
鼈甲は、膠(にかわ)と似たような成分を含み、接着剤を使うことなく、火と水を使うことで、どのような形にも加工できることから、さまざまな生活の道具の素材として取り入れられ、多種多様な製品が生まれました。
しかし、現在はワシントン条約により世界的に商取引が停止されているため、それ以前に輸入された原材料が尽きれば、伝統工芸としての鼈甲の歴史は途切れることになってしまいます。
現在、そうならないためのさまざまな取り組みが行われていますが、まだ、見通しは立っていません。
タイマイの甲羅を加工して作られるこの装飾品は、淡い黄白色の輝きを持ち、その美しさと肌触りの良さから、人々の間で大切にされてきました。
日本でも正倉院の収蔵品に鼈甲製品が数多く見られますが、庶民の装飾品として広まったのは、江戸の中期からです。
鼈甲は、膠(にかわ)と似たような成分を含み、接着剤を使うことなく、火と水を使うことで、どのような形にも加工できることから、さまざまな生活の道具の素材として取り入れられ、多種多様な製品が生まれました。
しかし、現在はワシントン条約により世界的に商取引が停止されているため、それ以前に輸入された原材料が尽きれば、伝統工芸としての鼈甲の歴史は途切れることになってしまいます。
現在、そうならないためのさまざまな取り組みが行われていますが、まだ、見通しは立っていません。
葛飾区と江戸川区の境にある新小岩。成田や都心への交通の便が良く、物価も安いことから外国人も多く住む下町の繁華街である。その新小岩駅から程近いビルの一室に、伝統工芸士・山川金作さんの工房はある。
ご存知のように江戸鼈甲とは、ウミガメの一種、タイマイという亀の甲羅を加工して作る伝統工芸品だ。
日本の近海にはタイマイは生息しておらず、奈良時代より、鼈甲は琉球やフィリピンより入ってくる、身分の高い者のための宝飾品であった。
庶民が鼈甲を身につけられるようになるのは、長崎で貿易が盛んとなる江戸も中期に入ってからのことである。「斑(ふ)」と呼ばれる柄の中に、あめ色の部分が多い物ほど高級とされ、眼鏡をはじめ、かんざしや櫛など、あらゆるものに加工された。
明治、大正、昭和と時代は変わっても、鼈甲製品は庶民の憧れであり続けた。戦後の高度経済成長期には、多くの鼈甲屋さんが隆盛を極める。しかし、ワシントン条約により1992年を最後に、原材料のタイマイが輸入できなくなった。
「今は材料が入ってこなくなっちゃったからねえ。いい材料さえあれば、作りたいものはいっぱいあるんだけどね」と年季の入った作業台の前で、山川さんは苦笑いをする。
現在、世界的に商取引が禁止されているタイマイの問題は、解決のめどがたっていない。
日本の鼈甲職人は、組合を通して手に入る貴重な材料や、それぞれが抱える在庫を互いに融通しあって、なんとか製作を続けている状況だ。
山川さんの生まれは、新潟県。すぐに静岡に引越し、小学校までを過ごした。そして、中学校からは山梨に移り住んだという。
「親の仕事の都合で、地方を転々としてね。静岡から動きたくなかったんだけど、でも、山梨に行ったから、今の自分があるんだよねえ」と当時を振り返る。山梨の中学校の先生が、東京の大手の鼈甲工房を紹介してくれたのだ。それで東京に出てくることができた。進学よりも就職が先だった。家も貧しかったが、当時はまだ皆、そういう時代だった。
「就職した鼈甲屋の社長がいい人でね。ずいぶん、面倒をみてもらったなあ。まだ、ほんの子供だったから、失敗もいっぱいしたんだけどね。思えば僕は人に恵まれてるんですよ」
小さい頃から、地方を転々としてきた自分をウミガメみたいだと自嘲する山川さん。そんな山川さんを仕事仲間や職人仲間は、親しみをこめてキンちゃんと呼ぶ。山川さんの穏やかな風貌と優しい語り口調に、誰もが気安さを覚えるという。
しかし、いざ仕事に入ると山川さんの表情は、一瞬で変わる。やがて、手先に集中する緊張感がまわりにも伝わってくる。親しさ以上に仲間が、山川さんの仕事に対して信頼が厚いのもうなづける。ある職人さんはいう「キンちゃんは他人の飯をずっと食ってきたから、仕事に対する心構えが違うんだ」と。
山川さんが自分の工房を開いたのは、実は平成16年と、まだつい最近である。それまではずっと最初にお世話になった社長の下で、職人として勤めてきたのだ。
「その社長さんがなくなって、背中を押されたような感じだったのかなあ。なんとかなるかなと思ったんだよね。それにこれしか自分にはできないしね」
先行きが不透明な鼈甲業界に見切りをつけ、廃業を決める工房も多い中での船出だった。でも、仲間が支えてくれたから、やってこれたと山川さんは振り返る。
「親の仕事の都合で、地方を転々としてね。静岡から動きたくなかったんだけど、でも、山梨に行ったから、今の自分があるんだよねえ」と当時を振り返る。山梨の中学校の先生が、東京の大手の鼈甲工房を紹介してくれたのだ。それで東京に出てくることができた。進学よりも就職が先だった。家も貧しかったが、当時はまだ皆、そういう時代だった。
「就職した鼈甲屋の社長がいい人でね。ずいぶん、面倒をみてもらったなあ。まだ、ほんの子供だったから、失敗もいっぱいしたんだけどね。思えば僕は人に恵まれてるんですよ」
小さい頃から、地方を転々としてきた自分をウミガメみたいだと自嘲する山川さん。そんな山川さんを仕事仲間や職人仲間は、親しみをこめてキンちゃんと呼ぶ。山川さんの穏やかな風貌と優しい語り口調に、誰もが気安さを覚えるという。
しかし、いざ仕事に入ると山川さんの表情は、一瞬で変わる。やがて、手先に集中する緊張感がまわりにも伝わってくる。親しさ以上に仲間が、山川さんの仕事に対して信頼が厚いのもうなづける。ある職人さんはいう「キンちゃんは他人の飯をずっと食ってきたから、仕事に対する心構えが違うんだ」と。
山川さんが自分の工房を開いたのは、実は平成16年と、まだつい最近である。それまではずっと最初にお世話になった社長の下で、職人として勤めてきたのだ。
「その社長さんがなくなって、背中を押されたような感じだったのかなあ。なんとかなるかなと思ったんだよね。それにこれしか自分にはできないしね」
先行きが不透明な鼈甲業界に見切りをつけ、廃業を決める工房も多い中での船出だった。でも、仲間が支えてくれたから、やってこれたと山川さんは振り返る。
鼈甲の場合、さまざまな工芸品の装飾パーツの製作を依頼されることも多い。自分の作品になるわけでもない仕事だし、手間もかかるのだが、どんな小さな仕事でも手をぬくことなく、丁寧に山川さんは取り組む。
その噂を聞きつけた大手ジュエリーブランドが、さまざまな仕事を依頼してくるようにもなった。思い出深い仕事は、最高級のカメオの台の製作を頼まれた時だという。
「やっぱり、良い物はいいんだよね。そして良い物を作ることができた時には、本当にうれしくなるんだ」
山川さんの作品の魅力は、その丸みにあると長年、彼の顧客だというご婦人が話してくれた。確かに徹底的に磨き上げられた山川作品の曲面は、プラスチックのレプリカとは比べようもないほど、何重にも艶が重なっていて美しい。
山川さんに、鼈甲の仕事をしてきて、どんな時がいちばん楽しいですかと尋ねた。
「やっぱり、お客さんに喜んでもらえた時だよね。決して、安くないお金を払ってくれているのに、お礼まで言ってくれるんだもの、ああ、本当に喜んでくれてんだなあと思えて、嬉しくなる。ありがたいよね」
山川さんのように、直接販売店を持たない職人さんの作品にめぐりあうことは、一般の人にとってはとても難しい。もちろん、百貨店に行けば並んでいるだろうが、おいそれと手が出る値段ではなくなっている。葛飾では、職人さんたちが互いに交流しあっているので、共同でさまざまなイベント開いたりする。そういう時はチャンスである。また、葛飾の場合、さまざまな伝統工芸の職人さんのつながりが深いので、業種を超えた注文にも、きめ細かく応えることができるのが強みだと山川さんはいう。
「伝統工芸って、それぞれ同じ業種の組合でまとまることはあっても、他業種で連携するというのは全国的に見ても東京の葛飾区以外にあまり例がないんですよ。でも、これからはそういう時代だと思うなあ」
その噂を聞きつけた大手ジュエリーブランドが、さまざまな仕事を依頼してくるようにもなった。思い出深い仕事は、最高級のカメオの台の製作を頼まれた時だという。
「やっぱり、良い物はいいんだよね。そして良い物を作ることができた時には、本当にうれしくなるんだ」
山川さんの作品の魅力は、その丸みにあると長年、彼の顧客だというご婦人が話してくれた。確かに徹底的に磨き上げられた山川作品の曲面は、プラスチックのレプリカとは比べようもないほど、何重にも艶が重なっていて美しい。
山川さんに、鼈甲の仕事をしてきて、どんな時がいちばん楽しいですかと尋ねた。
「やっぱり、お客さんに喜んでもらえた時だよね。決して、安くないお金を払ってくれているのに、お礼まで言ってくれるんだもの、ああ、本当に喜んでくれてんだなあと思えて、嬉しくなる。ありがたいよね」
山川さんのように、直接販売店を持たない職人さんの作品にめぐりあうことは、一般の人にとってはとても難しい。もちろん、百貨店に行けば並んでいるだろうが、おいそれと手が出る値段ではなくなっている。葛飾では、職人さんたちが互いに交流しあっているので、共同でさまざまなイベント開いたりする。そういう時はチャンスである。また、葛飾の場合、さまざまな伝統工芸の職人さんのつながりが深いので、業種を超えた注文にも、きめ細かく応えることができるのが強みだと山川さんはいう。
「伝統工芸って、それぞれ同じ業種の組合でまとまることはあっても、他業種で連携するというのは全国的に見ても東京の葛飾区以外にあまり例がないんですよ。でも、これからはそういう時代だと思うなあ」
■山川金作氏のべっ甲の茶杓の作り方、全工程がご覧いただけます ※音が出ます
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